曹洞宗 虚空蔵山 大満寺
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仙台藩二代藩主伊達忠宗公の霊位牌

 当寺の中興開基は、戦国の武将で有名な伊達政宗の嫡子、伊達忠宗です。大満寺はその忠宗公の霊位牌を奉る寺です。しかしなぜ、1658年当時辺境の地の寺に、仙台藩二代藩主伊達忠宗公の霊位牌が奉安されることと成ったのでしょうか。

物語はここから始まります

 伊達家は米沢の豪族出身の武将で徳川時代に宮城県主体とした仙台藩を本陣として、六十二万石の大名と成りますが、それ以前は近隣の豪族との領地のせめぎ合い、また占領し勢力を伸ばしておりました。

 その時の武将に、現在仙台市の中心地に名を留める武将の国分氏が、伊達家に滅ぼされています。その末子に平蔵と言う幼子がおりました。伊達家に滅ぼされる時に平蔵が現在の根白石辺りに落ち延び、古内家に依って育てられました。後に政宗公がこの地に狩りに訪れたおりに、馬術の優れた若者を見初め、嫡子忠宗の養育係りに当てました。この若者こそ後に古内主膳重廣となる平蔵その人です。

 彼は文武に秀で、身丈長身で登城する際には、奥向きの女性がその姿を見に大手門付近に集まったと伝えられます。忠宗公長ずるや古内主膳重廣は奉行職に就き筆頭家老の重職を担うまで重要視されていきます。藩政の中枢を担いますが、1658年7月12日(旧歴)藩主忠宗公病気で没するや即、追い腹を切り殉死し、またその主の後を追った三人の家臣もおり、当寺の西の丘に埋葬されています。

古内家の菩薩寺であった大満寺

 当寺はこの古内家の菩薩寺であったことにより、古内主膳公以下三名の家臣は伊達家によって手厚く葬られ、幼少のみぎりよりお側におって、最期の最期までお供をされたと言うことが、伊達家に覚えめでたく忠宗公「大慈院殿」の霊位牌を奉安し菩薩を弔うようになりました。現在、西の丘の中央にある薬師如来像は病死した忠宗公の供養の為に建立されたものです。その左脇に今でもそばに仕えるかの様に質素な墓石にて、奥方と一緒に埋葬されておられます。


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